2020年9月 3日 (木)

The Anatomy of Health Care in the United States. JAMA 2013

前回が米国の生物医学研究のまとめなら、今回は米国の医療のまとめ。

abstract

Health care in the United States includes a vast array of complex interrelationships among those who receive, provide, and finance care. In this article, publicly available data were used to identify trends in health care, principally from 1980 to 2011, in the source and use of funds ("economic anatomy"), the people receiving and organizations providing care, and the resulting value created and health outcomes. In 2011, US health care employed 15.7% of the workforce, with expenditures of $2.7 trillion, doubling since 1980 as a percentage of US gross domestic product (GDP) to 17.9%. Yearly growth has decreased since 1970, especially since 2002, but, at 3% per year, exceeds any other industry and GDP overall. Government funding increased from 31.1% in 1980 to 42.3% in 2011. Despite the increases in resources devoted to health care, multiple health metrics, including life expectancy at birth and survival with many diseases, shows the United States trailing peer nations. The findings from this analysis contradict several common assumptions. Since 2000, (1) price (especially of hospital charges [+4.2%/y], professional services [3.6%/y], drugs and devices [+4.0%/y], and administrative costs [+5.6%/y]), not demand for services or aging of the population, produced 91% of cost increases; (2) personal out-of-pocket spending on insurance premiums and co-payments have declined from 23% to 11%; and (3) chronic illnesses account for 84% of costs overall among the entire population, not only of the elderly. Three factors have produced the most change: (1) consolidation, with fewer general hospitals and more single-specialty hospitals and physician groups, producing financial concentration in health systems, insurers, pharmacies, and benefit managers; (2) information technology, in which investment has occurred but value is elusive; and (3) the patient as consumer, whereby influence is sought outside traditional channels, using social media, informal networks, new public sources of information, and self-management software. These forces create tension among patient aims for choice, personal care, and attention; physician aims for professionalism and autonomy; and public and private payer aims for aggregate economic value across large populations. Measurements of cost and outcome (applied to groups) are supplanting individuals' preferences. Clinicians increasingly are expected to substitute social and economic goals for the needs of a single patient. These contradictory forces are difficult to reconcile, creating risk of growing instability and political tensions. A national conversation, guided by the best data and information, aimed at explicit understanding of choices, tradeoffs, and expectations, using broader definitions of health and value, is needed.

 

www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。まあまあいい感じです。

米国のヘルスケアには、ケアを受け、提供し、資金を提供する人々の間の複雑な相互関係の膨大な配列が含まれている。この論文では、公開されているデータを用いて、主に1980年から2011年までのヘルスケアの傾向を、資金の出所と使用(「経済的解剖学」)、ケアを受ける人と提供する組織、そしてその結果として生み出された価値と健康の結果を明らかにした。2011年には、米国の医療は労働力の15.7%を雇用し、支出は2.7兆ドルに達し、米国の国内総生産(GDP)に占める割合は、1980年から2倍の17.9%に増加した。年成長率は1970年以降、特に2002年以降は低下しているが、年率3%で他のどの産業やGDP全体をも上回っている。政府資金は1980年の31.1%から2011年には42.3%に増加した。医療に投入される資源は増加しているにもかかわらず、出生時平均寿命や多くの病気での生存率など、複数の健康指標を見ると、米国は同業国に後れを取っていることがわかります。この分析結果は、いくつかの一般的な仮定と矛盾している。2000年以降、(1)サービスへの需要や人口の高齢化ではなく、価格(特に病院代[年4.2%増]、専門サービス[年3.6%増]、医薬品や医療機器[年4.0%増]、管理費[年5.6%増])がコスト増加の91%を占めていること、(2)保険料や自己負担金にかかる個人のポケット外支出は23%から11%に減少していること、(3)高齢者だけでなく、人口全体のコストの84%を慢性疾患が占めていること。最も大きな変化をもたらしたのは3つの要因である。(1) 総合病院が減少し、単一の専門病院や医師グループが増えたことで、医療システム、保険会社、薬局、給付管理者に財政的な集中が生じたこと、(2) 投資は行われているが価値がつかめない情報技術、(3) ソーシャルメディア、非公式なネットワーク、新しい公共の情報源、自己管理ソフトウェアを使用して、従来のチャネル以外の場所で影響力を求めている消費者としての患者、の3つの要因が最も大きな変化をもたらしている。これらの力は、患者は選択、個人的なケア、注意を求め、医師は専門性と自律性を求め、公的および民間の支払者は大規模な集団全体の経済的価値を求めているという緊張感を生み出している。コストとアウトカム(集団に適用される)の測定値は、個人の嗜好に取って代わりつつある。臨床医は、社会的・経済的な目標を一人の患者のニーズに置き換えることを期待されるようになってきている。これらの矛盾した力を調整することは困難であり、不安定さと政治的緊張が高まる危険性がある。健康と価値のより広い定義を用いて、選択、トレードオフ、期待を明確に理解することを目的とした、最高のデータと情報に導かれた国民的な対話が必要である。

これをもう少しこなれた表現にしてみます。(下線は筆者が追加)

米国のヘルスケアの受益者、提供者、資金提供者の間には膨大かつ複雑な相互関係がある。本論文では公表されているデータを用いて、ヘルスケアの資金源と支出先(すなわち「経済的解剖学」)、ヘルスケアの受益者と提供組織、生み出された価値と健康面のアウトカムについて、主に1980年から2011年までの傾向を明らかにする。

2011年には米国のヘルスケアは雇用の15.7%を占め、支出は2.7兆ドルに達し、国内総生産(GDP)に占める割合は1980年から倍増して17.9%に達した。年成長率は3%で、1970年以降、特に2002年以降は低下しているが、それでも他のすべての産業や全GDPの成長率を上回っている。政府の出資割合は1980年の31.1%から2011年には42.3%に増加した。医療に投入する資源は増大しているが、出生時平均寿命や多くの病気の生存率などの健康指標は他の先進国より劣っている。

分析結果のうち一般常識と異なる点を挙げると、2000年以降、(1)サービス需要や高齢化ではなく、価格の上昇(特に入院費[年4.2%増]、専門サービス[年3.6%増]、医薬品や医療機器[年4.0%増]、管理費[年5.6%増])がコスト増加の91%を占める、(2)保険料の上乗せや自己負担金による支出は23%から11%に減少した、(3)高齢者に限らず、全人口におけるコストの84%を慢性疾患が占める。

変化の三大要因を挙げると、(1)組織統合:総合病院が減少して単科の専門病院・医師グループが増え、医療システム、保険会社、薬局、給付管理者が財務的に統合した、(2) ITへの投資:価値を生んだとは言い難い、(3) 消費者としての患者:ソーシャルメディア、非公式なネットワーク、新たな情報源、自己管理ソフトウェアといった従来とは異なる手段で影響力を持つようになった。

こうした状況は、選択肢と個別的なケアと思いやりを求める患者と、専門性と自立性を求める医師集団レベルでの経済的価値を求める公的および民間の保険者の三者の間に摩擦を生み出している。個人の意向より集団レベルのコストとアウトカムが優先され、臨床家は個々の患者のニーズより社会的・経済的な要請を優先するよう求められつつある。これらの相反する要請を並立させるのは困難で、混乱や政治的緊張が高まる恐れがある。

最良のデータと情報を基に、健康と価値についてより広い視点を持ち、選択肢・トレードオフ・要望を明確化するための対話を全国レベルで進めていく必要がある。

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2020年8月28日 (金)

Rescuing US biomedical research from its systemic flaws

Rescuing US biomedical research from its systemic flaws

Bruce Alberts , Marc W Kirschner, Shirley Tilghman, Harold Varmus

Proc Natl Acad Sci U S A. 2014 Apr 22;111(16):5773-7

アブストも訳してみます。

The long-held but erroneous assumption of never-ending rapid growth in biomedical science has created an unsustainable hypercompetitive system that is discouraging even the most outstanding prospective students from entering our profession—and making it difficult for seasoned investigators to produce their best work. This is a recipe for long-term decline, and the problems cannot be solved with simplistic approaches. Instead, it is time to confront the dangers at hand and rethink some fundamental features of the US biomedical research ecosystem.

生物医学研究はハイペースで拡大し続けるだろうという誤った前提が維持されてきた。その結果、過度に競争的で持続困難なシステムとなり、もっとも有能で将来性ある学生ですら敬遠するようになり、ベテランの研究者も成果を生みづらくなった。拡大を前提とすることは長期的な凋落を招く要因になり、数ある問題は単純なアプローチでは解決できない。目下の危機を直視し、合衆国の生物医学研究の生態系(≒金や人の流れ)を根本から見直す必要がある。

 

6年後の現在、部外者の目から見ると、問題は悪化しているように見えます。私が考える主な要因は以下の2つです。

(1)アメリカの地位の低下(と中国の興隆)

(2)(皮肉にも)医学のもたらした長寿によって、市民の関心が新たな治療の開発から社会保障の維持にシフトした(例:オプジーボ亡国論)

 

医療のエコシステムも根本から見直す必要があると考えますが、それは次に。

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2020年8月26日 (水)

生命科学クライシス―新薬開発の危ない現場  リチャード・ハリス 著

アマゾンに書いた書評を転載します。

 

ビッグデータを生み出す新たな技術、多額の研究費、そして多くの科学者たちの努力と熱意に関わらず、画期的な新薬は生まれにくくなっており、新薬開発のコストは9年ごとに倍増している。本書ではその主な原因として生物医学研究の再現性の乏しさを挙げ、細胞や抗体といった材料の問題、実験手技のばらつき、研究デザインの不備、統計の悪用、モデル動物の限界といった問題を順に論じている。

そしてその背景として、ポジションと研究費をめぐる激しい競争のため、厳密さを犠牲にして論文を生産せざるを得ない研究者のジレンマを描いている。

こうした状況を変えるための試みとして、チェックリストの作成、研究プロトコールの事前登録、追試研究の重視などが挙げられているが、いずれも確立には至っていない。

(本書には書かれていないが、アメリカの重鎮による提案には、研究者の過当競争を緩和するために大学院生を削減することも含まれている。)

本書は現状に対する批判としてすっきりまとまっており、その批判はおおよそ的を射ているように思われる。アグレッシブ代表のようなボブ・ワインバーグがことごとく反論しているのが彼らしい。

 

本書は生命科学に関わるさまざまなレベルの読者に役立つ。

学部生・大学院生にとっては、生物医学研究の問題点を学ぶのに最適であり、巻末の文献を批判的に読めばさらに理解が深まるであろう。

また、実地の研究者にとっては自らの研究を振り返る材料に、指導的立場にある科学者にとっては科学政策を議論するための叩き台となるであろう。

ちなみに、しばらく前に生物医学研究から離れた評者にとっては、ほろ苦く甘酸っぱい思い出に浸る追憶の書である。

 (引用終わり)

 

ちなみに、「アメリカの重鎮による提案」とは

Rescuing US biomedical research from its systemic flaws

Bruce Alberts , Marc W Kirschner, Shirley Tilghman, Harold Varmus

Proc Natl Acad Sci U S A. 2014 Apr 22;111(16):5773-7

彼らの主張は次の文章に凝縮されていると思います:

We believe that the root cause of the widespread malaise is a longstanding assumption that the biomedical research system in the United States will expand indefinitely at a substantial rate. We are now faced with the stark realization that this is not the case. Over the last decade, the expansion has stalled and even reversed.

全般的な停滞の主な要因と考えられるのは、「合衆国の生物医学研究システムはハイペースで拡大し続ける」という前提を維持してきたことだと考える。目の前の現実はすっかり様変わりしてしまった。この10年間、拡大どころか縮小に転じているのだ。

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2020年5月 4日 (月)

コロナの渦の中で

これまで考えられなかったことが、この3か月の間に次々に起こっています。

たとえ数か月で終息したとしても(そうならない可能性が高そうですが)、その後の世界に大きな影響が残ることでしょう。

研究や教育でいうと、ウェブベースが飛躍的に増えて、たとえば学会のウェブ配信と参加は当たり前になるでしょう。

医療では管理的な傾向が高まるでしょう。その一環として、医療機関の機能分化が進むはずです。MRさんの削減が進みそうです。

 

こうした時に大きな視点で考えるのが大事です。もちろんユヴァル・ハラリとかスティーブン・ピンカーを読むのも良いのですが、もうちょっと自分の興味に合ったマイナーな本を掘るのも良いのでは。そう思って、(はからずも長い自宅待機に入っていたので)何冊かの本を読みました。

フィールドはバラバラですが、自分に引っかかるということはどこか共通項がある、というのが読後の感想です。

 

1)苅谷剛彦 追いついた近代 消えた近代 戦後日本の自己像と教育

(あらすじ)

・他国では「近代」が続いているのに、日本では「近代」が終わって「現代」に。

・欠如理論:後進性と欠如を結びつけ、近代西洋と比較して日本に欠けているものを日本社会の欠陥の原因だとみなす

・外部参照点であったアメリカに経済面でキャッチアップしてから迷走。

「エセ演繹型思考」の結果、具体的なイメージを欠く「主体性」の連呼と、新自由主義の名のもとの予算の抑制、その結果「改革疲れ」。

・帰納型思考:「後発型近代化の経験自体を、内部の参照点から事実認識をもとに帰納的に検証し、そこからそれ適切に分析できる自前の概念や理論を作り出していくという課題」(333頁) 

例 「生活者」(「弱い個人」の主体)

(感想)

・知らず知らずアメリカを参照点とする思考のクセにより自覚的になる必要がある。

・「エビデンス」が「エセ演繹型思考」の道具として使われる懸念。

・過去に「主体的に」判断し行動した人々へのリスペクト、たとえば、震災復興で活躍していたローカルな人々

 

2)室内生活 スローで過剰な読書論 楠木建

競争戦略を専門とする経営学者による書評などを集めたもの。

ごく簡単にまとめると

①頭のよさとは「具体と抽象の往復運動」

②因果関係を基にした順序が大切(箇条書きではダメ)

 

3)東京 坪内祐三

1958年生まれの東京ローカルの評論家・エッセイスト。

東京の街ごとにエッセイ。南千住が秀逸、「友達以上 恋人未満」だった女性への鎮魂歌。

アメリカへの憧憬を体現してきた東京の良さが、2000年以降に失われてきたという認識。納得!

写真が撮影された2004年から2007年は、私が東京郊外に住んでいた時期と重なっており、私にとってコンテンポラリーの東京。

今は亡き赤坂プリンスが懐かしい。

当時の著者の年齢は今の私とほぼ同じ。納得!

(感想)

戦後日本に育った人間にとって、アメリカへの憧憬の大きさ。そしてそれが薄れつつある現在。たとえば洋楽からJポップへ。

これからどこに行くのか?

あと、個人としては、やはり10代20代を引きずるんだよな・・・

 

【共通項】戦後の日本、アメリカ、近代、論理(抽象と具象、因果関係)、個人主義、消費社会

 

【共通項を自分のフィールドに当てはめると?】

今の60歳以上の精神科医にとって「精神療法」はロマンがあるが、50歳以下にはない。

精神分析=古き良きアメリカの退潮のせい?

では、そのあとの枠組みは?

 

 

 

 

 

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2018年4月21日 (土)

江副浩正

福祉の世界で活躍されている方がリクルート出身であることを偶然お聞きしました。

「リクルートといえば、多くの人材を輩出している企業ですよね。いつごろおられたのですか?」と尋ねると、いくぶん複雑な表情で、「1980年代の後半、江副さんが変節していく様子を目の当たりにしました。リクルート事件にも遭いましたしね。」とおっしゃいました。

リクルートのことをよく知っている訳ではありませんが、不思議な会社です。ロッキード事件とならぶ巨大な収賄事件でその名を知られながら、企業イメージは地に落ちることはありませんでした。今なお人材育成に優れたフレッシュな企業というイメージを維持しています。。

この本を本屋で手にしたら、面白いのなんので、目の前の仕事を放り投げて一気に読み切ってしまいました。

この本で興味深かったのは以下の点です。

・インターネットの前に「情報化社会」を具現したのがリクルートという会社である:

リクルートの最大の貢献は、労働市場と住宅市場という二つの閉鎖的な領域において、情報を収集・選択・加工して提供したこと。

結果として、情報弱者であった個人をエンパワーし、組織と個人との力関係を一変させた。

紙媒体からネットへの移行はこの動きを加速したが、リクルートはそれを30年前に先取りしていたと言える。

また、「情報化社会」の「情報」とは、主にモノではなくヒトに関する情報であり、成功のカギとなるのは、人の心理に関する知識と洞察である。

リクルート発展のカギとなったのは江副氏の人心掌握術であるし、初期の発展に貢献したのは、心理学に裏付けられた人格テストを採用試験に提供したことである。

・江副氏の栄光の輝かしさと転落の闇のコントラストが、あまりに鮮やかである。前者が面白いのはもちろんだが、後者も味わい深い。
一方、江副氏が離れた後も、リクルートは自律的な発展を続けた。その核は江副氏が植え付けた企業文化である。

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2017年12月31日 (日)

反脆弱性-不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

日本語の副題が橘玲の「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」にそっくりですが、原題は"Antifragile: things that gain from disorder"です。

タレブの前作「ブラック・スワン」はベストセラーになりました。「白鳥は全て白い」という命題は、たった1羽でも黒い白鳥が存在すれば覆されます。それぐらい、過去に例がない事象が大きな衝撃を与えることを「ブラック・スワン」と呼びます。通常、ランダムな事象は正規分布で生起すると考えられますが、地震などの自然現象や金融危機は、べき分布の方がよりよく記述できるのです。

「ブラック・スワン」に対処する方法として、タレブは「反脆弱」という概念を提唱します。
「脆弱」の反意語は「頑強」だと考えられていますが、タレブは「頑強は変動性に対してニュートラルであるに過ぎない」と否定し、変動性によって積極的に利益を得る性質を「反脆弱性」と定義します。(どの言語でも、「反脆弱」という意味の単語はないそうです!)
金融で言えば、コール・オプション(ある物を買う権利)は、損は限定的、利益は無限、という非対称性があります。これだと、ボラティリティ―が高いほど、利益が膨らみます。
(私がそれを瞬時に理解できたのは、以前、プット・オプションを買わされて痛い目に遭ったことがあるからですw)
この「反脆弱性」を金融以外のさまざまなフィールドに拡張したのがこの本です。この世の事象を「脆い」「頑強」「反脆い」の3つに分類しています。ブラック・スワンは予測できない、でも、ブラック・スワンが起きても壊れにくい、さらにはブラック・スワンを新たな創造のチャンスとできるシステムを組むことはできる、というのがこの本の趣旨です。
"Antifragile"が私の中で響いたのは、基礎研究から臨床医への転向を最もシンプルに説明しているからです。
研究者というのは「脆い」です。専門は極めて狭く、その分野の旬が過ぎてしまうかもしれません。理系の研究には機械や試薬が必要で、分子生物学のラボなら、人件費以外の研究費が年1000万でもカツカツでしょう。今は任期制の職が多くなっていますし、たとえパーマネントの職が得られたとしても、研究費が切れれば研究は続けられません。定年を迎えれば、ほとんどの研究者が再就職先を見つけることができず、「ただの人」になります。
私が30歳を過ぎて、「これから成果を出したとしても、せいぜい行けるのはこれぐらいだろうな」というのが見えた時点で、プット・オプションと同じ状況だった訳です。
それに対して、精神科医というのは「反脆い」です。指定医があれば、日本全国、どこでも食べて行けますし、忙しくてもいい、田舎でもいい、といった条件を飲むなら、かなりの収入を得ることができます。年老いたり、病気になったりしても、細々と仕事を続けることができます。
そもそも、精神科医という存在がmental disorderをメシの種にしているわけで、"things that gain from disorder"です。私は「反脆い」引き算的な治療が好きです。

ただ、良いことばかりではありません。自分の立場を持ち上げるために有名な他者をこき下ろす書きぶりは、繰り返し出てくると鼻につきます。「医原病」に関する議論は、医師にとって新しいものではないし、「脆いー反脆い」の構図で解決するものではなく、それを強いる社会構造を考察しなければ対策は出ないでしょう。正直、下巻は読むのが苦痛でした。

「脆いー反脆い」の軸は有用な枠組みで、あとは、読者がそれぞれのフィールドで取捨選択を考えるべきものでしょう。

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2017年10月21日 (土)

サカナクションライブ みたび

今年のツアーで3度目のサカナクションのライブ、大阪城ホールで、世界でも類を見ないというサラウンドです。

ガラケーの私は、会場でプレミアム席のチケットを受け取ると・・・なんと、Aブロックの1番でした!といっても、スタンディングだし、プレミアム席は(最も音が良いという)ホールの中央に位置していたので、ステージから近い訳ではありませんでしたが。エリアは広めで、踊りやすかったです。

たしかに音は良かったです。音ズレは全く感じず、ハウリングもほとんどなく、一郎さんの煽りもしっかり聞き取れました。もちろん、いつものように低音もビシビシ届いて、服が震えていました。ことさらサラウンドを強調するような演出は一部に限られていたのは、ストイックさ(サラウンドは手段としての技術であり、目的ではない)を感じます。

最初の5曲で体を温め、シーラカンス~壁~ユリイカ~ボイルで見せる/聴かせる、その後も基本は踊り、聴かせる曲を適度に挟む、という構成の意図がよく分かりました。あとはあれこれ考えずに体を委ねると、足は自然にステップを刻み、手は宙に揺れる、という感じでした。

今日がツアー最終日ということもあってか、MCも軽やかで、「みんな新曲、絶対売れないと思っただろ?」「ぶっちゃけ、会場は1年2年前に押えて、今回のツアーは前半がシングルツアー、後半アルバムツアーのつもりだったけど、アルバムが間に合わなかった」「アルバムはシングルを集めた1枚と、全く新しい曲で1枚、2枚組にしようとビクターに言ったら、別々に売りましょう、契約であと2枚残ってるんで、って言われた」みたいな話が次々に出てきました。

今年のライブは今日が最後、しばらくはアルバム制作に専念する、という話を聞き、余韻と名残惜しさを感じながら会場を後にしました。

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2017年6月19日 (月)

皇居から表参道

2015年4月9日の記事のコースを、今年の3月に再体験しました。今度は歩きです。

皇居の西側に最高裁があり、その隣のホテルに宿を取りました。夕方にイベントが終わり、地下鉄の国会議事堂駅からスタートです。

国会議事堂の周囲を一周。警官が多い。道がやけに広々している。拡声器で何かがなっている人がいるが、話は明らかに脈絡がなく、専門用語で使えば連合弛緩といえるだろう。

国会議事堂の隣に議員会館。個性のないビルが聳え、黒塗りの車がひっきりなしに出入りしている。その隣に首相官邸。

議員会館横の坂を下っていくと、右手に日比谷高校。左手の日枝神社を巻くようにして赤坂にたどり着く。キャピトルホテル東急、安部首相はここのパイコー麺がお気に入りのようだが、まだ空腹ではなかったのでパス。もう一つそびえるプルデンシャルタワー、ここはホテルニュージャパンがあったところなんですね。首相官邸のすぐ傍であの大火災があったわけだ。

赤坂見附方向に進む。ふと雑居ビルを見ると、赤坂メンタルクリニックの名前が。メンタルの世界ではブランドのクリニックです。その向かいにそびえる東京ガーデンテラス紀尾井町、その前の堀に釣り堀が。首都高と合わせて、奇妙な光景。このビルは、前は赤坂プリンスだったんですね。昔、ここでとろろ蕎麦を食ったなー。蕎麦があれば食べたかったが、こういうビルの漂白された感じに馴染めず退散。向かいにホテルニューオータニ。親戚の結婚式で泊ったことがあるかもしれない。

赤坂のラーメン屋で腹を満たしてから、ひたすら246を西に。外苑西通までは暗め。あとは歩きなれた土地で、普通かな。

日本の権力が集中している場所を歩き、そのエネルギーをなんとなく感じた旅でした。




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2017年6月17日 (土)

サカナクションライブ 再び

サカナクションのライブに行ってきました。今度はホールです。

スマホを持たない私は、会場でチケットを受け取って初めて席を知りました。2階席の中央、ステージからやや遠いものの、全体が見渡せて、それはそれで良いです。2列前には、恰幅の良い金髪の男性が。後で片山正通さんだと知りました。
始まってしばらくすると・・・尿意が・・・汗をかくと思って事前に水を飲みすぎたのが失敗でした。アンコールまで間に合いましたが、やや集中力を欠いたかも。
前半盛り上げて、中盤で聴かせて、後半で踊るといういつものパターンで、特に印象的だったのはユリイカのアートワークでした。ただ、視覚に重きを置く分、楽曲への意識が薄れるきらいも。上京の寂しさを体験した一人として、ユリイカは好きな曲でもあるので。
10周年ツアーということでMCが多めでした。いつもながら、一郎さんのサービス精神には頭が下がります。エゴサーチで見つけた批判的な意見を紹介したり、家族と京都の関係を話したり、ファンのハートを掴むのが上手ですね。くじで曲を決める演出は、ホントにできるのかな?と疑り深い私・・・
ラス前では新曲を披露。わりと80年代の歌謡曲の感覚があるかな。
初期の曲もやりつつ、新たな方向性も示すという、10周年にふさわしい構成だったと思います。鬱屈を抱えた青年を脱皮して、いろいろな楽しみを覚えた大人の歌や演出を、ということになるでしょうか。
一方、音響の限界も感じました。私は耳が繊細な方で、会場の前方だと音圧がきついです。今回は後方だったので音量は適切で、低音もきっちり届いていました。ただ、音がよく聞こえる分、ボーカルの一部が軽くーーたとえて言うなら、セカオワのボーカルのようにーー聞こえました。これがサラウンドでどれくらい違ってくるのか、10月の大阪城ホールが楽しみです。

私も人前で話す機会が増えてきました。サカナクションのように良質なエンタメからは、技はもちろん、完成度を求める気迫、そして聴衆に対する感謝の念をお手本にしたい、とつくづく感じるライブでした。

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2017年3月 4日 (土)

サカナクション ライブ〝多分、風” (ネタバレ注意)

先週末に行ってきました。

Zepp Osaka Bayside、USJの隣の駅の新しいライブハウスです。17時開場で16時前に着きました。駅前にはホント何もない!ジュースの自販機と、ベビーカステラの屋台だけ!とりあえず会場に行き、タオルを買います。前に陣取りたいファンたちは、長袖シャツの上にサカナクションのTシャツ姿で待ち構えています。
一人で待っていても退屈なので、駅の逆方向にある天保山渡船乗り場に。向かいに天保山の観覧車が見えて、うららかな景色。そんなに時間はなかったので、渡りませんでしたが。
開場20分ぐらい前に戻ると、すごい人の列。ライブハウスといっても、キャパは3000人近くです。これだけ人を集めるのはすごい、と単純に思いました。私は整理番号が500番くらいだったので、わりと前に並べました。そんな会場前の様子を、目つきの鋭い業界人風の人が観察しています。後で確かめたら、プロデューサーの野村さんでした。
17時をだいぶ過ぎてから開場、真ん中あたりに陣取り、ひたすら待つ。こんな時って、あまり隣の人と話そうという気にはならないな。ライブ以外の印象が残るのが嫌、ってのがあるんだろうな。ビデオカメラが数台あり。今日はAmeba TVで生中継するんですね。
新宝島で始まり、序盤は盛り上げ。このあたりは、だいぶデフォルトっぽい感じはする。メロウに落としたところで「流線」。アコギで始まり、徐々に分厚いサウンドに。最後は低音の振動で服がビリビリ響いていました。ユリイカの演出は、ライブハウスでもできるようにと考えた演出でしょう。縦ノりしたのはアドベンチャーだったかな?「多分、風」では会場内に風が吹く演出。会場の人熱れや汗の臭い。こういうのは、ライブじゃないと体験できないよね。
アンコールのMCでは、Ameba TV生中継の話も出ていました。25万人が視聴してると!それを生で体験できるのは、嬉しい。「明日が 見えなくて」「アイデンティティーがな~い 生まれな~い ララララー」みたいなネガティブ・ワードもみんなで歌うと、「そんなん、どーでもいいじゃん!」て感じになってくる。
Ameba TV向けにサービスか、10周年で思い出の曲をメンバーに尋ね、三日月や白波をちょっぴりギターで演奏。すぐに終わって、みんなで「あ~あ」と抗議するのも楽しい。「僕らはマジョリティーの中のマイノリティー」という表現は、まぁ、自分の立ち位置でもあります。
締めは「聴きたかったダンスミュージック、リキッドルームに」。余韻の中で踊る感じがいいです。
音楽や演出はもちろん、グリーティングイベントをやったり、ライブを生放送したり、ファンに楽しんでもらうための努力を惜しまないところに感心します。自分でイベントやる時に、見習わなきゃ!
単純に音楽の中で踊るのは楽しいし、若い子と一緒に踊るともっと嬉しい。「今年の納涼会をダンパにしてやろう」と、帰りの電車で妄想したりしてました。

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