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2009年3月

2009年3月31日 (火)

総合病院精神科を去るにあたって

この3月である総合病院精神科を退職することになりました。わずか1年でしたが、さまざまな経験をしました。

まずは会った患者さんの数が多かったです。次の医師に引き継いだ外来患者さんだけで300人くらいです。初診だけの方、他の医療機関に紹介した方、他科依頼で診た患者さんなどを含めると、500人くらいの出会いがあったでしょう。

臨床医にとって数を経験するのは大事なことです。どのカテゴリーに当てはまるか決めることが診断であり、そのためにはたくさんのパターンを経験することが不可欠です。また、ほとんどの方は薬物治療を行っており、薬の効き方を学ぶよい機会でもありました。

その一方、一人一人に掛けられる時間が少なく(外来は15分の枠に2人の予約が入っています)、薬物療法以外、すなわち精神療法、福祉との連携、復職支援などはしっかりとできませんでした。しっかりしたケースワーカーと臨床心理士の方がおられたので頼りっぱなしでした。

第二に、他科との連携(リエゾン)をよく経験しました。多くはせん妄に関する依頼であり、身体的に重症の方(ナースステーションに近い部屋が多い!)に会う機会が多かったです。薬物療法としては、最初はリスパダールを使っていたのですが、しばしば誤嚥を生じるため、セロクエルをファーストチョイスにすることが多かったです。軽症の方なら25mgを1錠でだいたいうまくいきます。重症の場合、主治医とどれだけコミュニケーションをとれるかが大事だと感じました。

リエゾンに関しては、あと2年くらい経験すればそこそこモノになるような気がしました。が、緩和ケアとなると片手間ではとうていできない(日の単位で状況が変わりうる)わけで、以下のような問題も出てきます。

総合病院の精神科は不採算部門であり、病棟の廃止、外来縮小が全国で進んでいます(私が居たところも、以前は常勤医が6~7人いたそうですが、去年は一時的に2人になっていました)。その一方で、緩和ケアとか、自殺対策といった課題も出てきて、何を捨て何を残すかしっかり考えるべきだと思います。

以前のブログで以下のように書き、その考えは変わっていません。

私の考える総合病院精神科のミニマムの機能は

ⅰ)トリアージ:精神科受診をためらっている方々のために敷居を低くし、暫定的に診断して適切な医療機関に紹介する。

ⅱ)リエゾン・コンサルテーション:他科で治療を受けておられる方に精神科からのフォロー。緩和ケアも含む。

ⅲ)精神疾患患者さんの身体合併症治療のサポート:精神病院に入院されている方で大きな病気にかかった方の受け入れ。

逆に言えば、それ以外の仕事は他所にお願いできるわけで、この半年は、うつ・神経症でそこそこ安定している方をクリニックに紹介することにかなりのエネルギーを割いていました。

大学病院で1年研修した後、(ほぼ)単科の病院で1年、総合病院で1年、3年間で精神科を一通り眺めたという感じです。その中で、精神科の中心である統合失調症をしっかり診たいという思いがあり、単科の精神病院に移ることにしました。認知機能の評価、社会生活、福祉など、幅広く勉強していきたいと思います。

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2009年3月17日 (火)

精神科医は腹の底で何を考えているか

精神科医は腹の底で何を考えているか (幻冬舎新書) Book 精神科医は腹の底で何を考えているか (幻冬舎新書)

著者:春日 武彦
販売元:幻冬舎
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精神科医の仕事の裏側を紹介した本です。カスガ先生とは何の縁もないのに、「あるある(笑)」ということが多いです。でも、患者さんに読まれるとネタバレになってしまうw

慢性の統合失調症の患者さんは時間がかからないので診察時間を短めにして、浮いた時間を他の患者さんに回す、とか、「てっとり早く言ってしまうなら、精神科医を相手に保険診療でじっくり話を聞いてもらおうなんてことは無理なのである」とか、総合病院の医師の気持ちを代弁してくれています。

本来はこういう話は同僚とか先輩と飲みに行ってするものですが、最近はそういうこともありませんねぇ。

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2009年3月16日 (月)

不安 2

「欲望」と「恐怖」は生き物にとって最も原始的な感情でないでしょうか。生き物は食うことと食われることの間でなんとか生き延びており、「欲望」は食うこと、「恐怖」は食われることとに直結しているのです。

「恐怖」と「不安」は、ネガティブな感情の中で対象が明確なものと明確でないものとして定義されていますが、現実にはその境目は厳密でありません。おおかた共通した神経回路を使っているだろうと私は想像します。

むしろ、時間軸においては違いがあります。「恐怖」は「いま、ここで」感じるものです。「不安」は未来に対して感じるものです。

未来を正確に予測できるほど、一般的には生存に有利に働きます。過去の経験・データを現在の状況に当てはめ、少しでも正確に予測しようと試みます。

過去のデータが蓄積するほど、未来は予測可能であると思えてきます。予測する未来像と、自分がそうあってほしいと思う像との差異が大きくなると不安が強まります。ちなみに、自分がそうあってほしいという像に予測を寄せすぎるとバブルになりますね。

今日は遅いのでこのへんで。

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2009年3月11日 (水)

不安と安心と

景気が非常に悪化して、雇用に対する不安が広がっています。また、その前から、年金、医療といった福祉に対する不安は日本を覆っています。

そうした不安はなるほどと思うのですが、だからといって、時刻表通りに来る電車のように制度の精密さを上げていけばいいかというと、そうでもないでしょう。

不安/安心というのは相対的な評価であり、かつ、幻想に支えられているところが大きいように思います。「大きな病院なら安心」と思って来られる方も多いのですが、建物や検査機器は立派でも診察する医者は3年目とかだったりして、何だかなー、と思ってしまいます。また、不安を煽ることをメシの種にしている職業もあります。

人手をかけ、コストをかければ今よりも「安心」なシステムを組むことはできるでしょう。しかし、じきにそれも当たり前になり、よりコストがかかるシステムでないと「安心」を得られなくなるのは目に見えています。それが資本主義の推進力ではあるのですが、人間が不安を感じるメカニズムをもっと知ることで、コストをかけずにより「安心」を感じるシステムを作ることはできないでしょうか?

救急医療のほころびについて見聞きするたび、そう感じてしまいます。

今の日本の現状では、やはりコミュニティーを再構築していく必要があると思います。私もここ数年間は毎年のように職場が変わり引越もしていたのですが、ようやく地域に根ざした職場で腰を落ち着けて仕事できそうです。

自分の体のことを過剰に心配する神経症の方々にもお会いしていますが、やはり仏教しかないのかな、とも思います。

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